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コ ラ ム

2024.4.1

重人献一

ハウステンボスでの不思議な再会

 新年度が始まる4月になると、長崎県佐世保市のテーマパーク『ハウステンボス』を思い出します。  4月の中頃に、ある評論家の方が長崎の紀行文を書くことになり、一緒に2泊3日で現地を訪ねたことがあります。初日に泊まったのが、ハウステンボスでした。  オランダ風の衣装のウエーターやウエートレスがいるレストランが人気で、その夜、さっそく訪ねました。  すると、店内で働いていた女性が気になりました。当時、私が勤めていた都内のオフィスの近くにある居酒屋で、アルバイトをしていた、韓国から語学留学のために来ていた人によく似ていたのです。 「あれ、似てるなぁ」と思って見ていると、向こうも不思議な表情で見ています。「もしかして、水天宮(オフィスの所在地)にいましたか?」と聞くと、「先月まで日本語を学んで、今月からこちらの大学に留学しました」  水天宮の居酒屋には客として、しょっちゅう通っていて、つい、この前まで、普段通りに話しをしていたので、彼女が3月末に引っ越していた、などとは思いもよらなかったのです。  懐かしい再会、というよりは、何か不思議な再会で した。それ以来、この季節になると、ハウステンボスのお店で彼女が着ていた衣装からの連想で、アニメの『アルプスの少女ハイジ』を思い出してしまいます。

2024.3.1

重人献一

なぜだか球春で思い出す名女優

 プロ野球のオープン戦の季節です。開幕が待ち遠しくなりました。なぜだか、この季節になると、名女優の吉永小百合さんを思い出します。  吉永さんには、週刊誌の対談で、お会いしたことがあります。彼女の対談の相手は人気アナウンサーで、私はその対談企画の担当者でした。吉永さんが映画で主演なさった際に登場願いました。  お二人で吉永さんが出た映画について話しをしてもらい、最後に補足として私から何点か質問させてもらいました。当時、西武ライオンズのファンで有名だった吉永さんに「パ・リーグは西武ですが、セ・リーグはどちらのファンですか?巨人ではないのですか?」と聞いたのです。当然、巨人だと思ったのです。  すると、「セ・リーグは皆さんと親しいので、特別の方々を応援するのは難しいですね」と、サラっとかわされましたが、その後に意外なお話がありました。  「カープの達川(光男)さんとも同じスポーツジムに行ってますし」とおっしゃるのです。私は広島生まれで、大のカープファンです。思いもしない達川さんの名前に驚き、言葉をなくしてしまった記憶があります。  達川さんは、「珍プレー」で有名な選手でしたが、その頃は現役を辞めて、野球解説者になられた時分でした。以来、「球春」という言葉を聞くと、なぜだか、名女優と元野球選手を思い出してしまいます。

2024.2.3

重人献一

株に興味をもって転職した同僚にびっくり

 前回は獅子文六さんの『てんやわんや』についての思い出を紹介しました。引き続き、話を続けます。  私にはWさんという仕事の同僚がいて、この人と愛媛の宇和島を話題にしていた時、『てんやわんや』 の話になり、Wさんは大層、この小説に興味を持ってくれました。  「それじゃあ、『大番』も読みますか?」と誘ってみました。『大番』というのは週刊誌に連載された獅子さんの長編で、『てんやわんや』の姉妹作と言ってもいい小説です。株がテーマで、主人公の赤羽丑之助は、人気の相場師、ギューちゃん。宇和島の出身で、都会に出かけて大活躍をします。  その『大番』の文庫版の前・後編をお貸ししたのです。ちょうど、Wさんが会社を退職する時でした。「都合のいい時でいいですよ」と言って、お貸しして、Wさんも「わかりました。必ずお返ししますね」と受け取りました。 それから、2週間ぐらいでしょうか、Wさんが本を返してくれました。添えてあった手紙には「とても面白かったです」とあり、さらに、こう続いていました。「『大番』を読んで、株に興味を持ち、その関連の仕事に再就職しました。今度、株で儲かったら、お返ししますね」。  いやはや、この予想もしない急展開に、大変に驚きました。Wさんには、ギューちゃんのように相場で大活躍して、本を貸した「お返し」をしてくれるものと大いに期待しています。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2024.1.9

重人献一

『ブラタモリ』で見たかった宇和島と獅子文六

 あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  昨年の『ブラタモリ』​(NHK)で、四国の宇和島が特集されましたが、特集があると聞いた時に大いに興奮してしまいました。私の最も好きな町の一つで、放映された番組には、宇和島城はもちろん、地元で人気の「闘牛」も紹介され、楽しく観ることができました。  一つ、残念だと思ったのは、宇和島が舞台となった文豪獅子文六さん(1893-1969年)の名作『てんやわんや』については、放送ではとりあげてくれなかったことです。私は二度、宇和島を訪ねたのですが、一度目に行った後、すぐに、たまたまですが、先生の名作『てんやわんや』を読んで感動してしまいました。今度行ったら、名作の舞台を見たいと思ったのです。  文六さんは戦後すぐに宇和島市郊外の岩松という町に疎開されて、そこが話の舞台になっています。宇和島の中心地からバスで約40分でしょうか。当時は2 時間かかる山の奥で、東京の生活しか知らない文六先生は、岩松での田舎の暮らしを面白く、楽しく描いたのです。二度目の旅では、その作品を思い出しながら、町を歩きました。  町には、文六先生が仮居した旧家があり、旅館として営業されていました。営業中なので遠慮して見学しなかったのですが、お願いしてみれば、よかったと後悔しました。  町を歩いていて、物語に出てくる、「トッポ話」という、会話の中に盛る、でまかせのホラ話のことも思い出しました。愛媛の南部でよく聞かれ、どことなく笑いを誘います。機会があれば、『てんやわんや』をぜひ、読んでほしいと思います。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.12.4

重人献一

「浅見光彦」が本当に帰って来た理由

 作家・内田康夫さん(1934~2018年)は、推理小説が有名で、特にテレビの2時間ドラマ「浅見光彦シリーズ」が人気です。いまでも民放のBSで、沢村一樹さん、中村俊介さん主演の再放送を見ることができます。  その内田さんの連載の担当を一度だけ、やったことがあります。週刊で連載が始まる前に、「連載スタート、浅見光彦が帰ってきた!」と紹介したら、内田さんの担当者から電話がきて、「今度、浅見とは違う人物が主人公です」と言われたのです。当然、浅見光彦が主人公だろう、と私が勝手に勘違いしていたのです。  それでも、内田さんに「浅見をぜひ、登場させてください」とお願いしたところ、「彼も自由な人だから」と言われます。主人公として登場するのか、心配していたところ、確か連載の5、6回目でしょうか、「浅見光彦です」と本当に登場させてくれたのです。助かりました。  内田さんは、自らを「軽井沢のセンセ」と気さくに名乗っていらっしゃいました。読者や編集者に優しい方でした。たった一度の編集者でしたが 、感謝、感謝以外ありません。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.11.1

重人献一

刀といえば「時代劇俳優・高橋英樹」

 「俳優」、というより、「時代劇俳優」と言った方が相応しいのが、高橋英樹さんだと思います。最近では今風のドラマの出演が多いようですが、殺陣をはじめ、刀や侍、城などに詳しくて、今、時代劇俳優と言ったら、まず、この方が思い浮かぶのではないでしょうか。  そういう高橋さんにインタビューさせてもらったことがあります。刀の歴史や現在の普及状況、作り方などについて、熱く、熱く、語っていただきました。  その際に、スポンサーを務めた刀剣商の方が「協同組合の販売会があるので、ぜひ、お越しください」と高橋さんを誘ったら、数日後に、マネージャーも連れずに本当に一人でやってこられ、1時間半ぐらいかけて、熱心に刀を見て周っていらっしゃいました。刀を構えると「う〜ん」と唸って、言葉を失ってしまわれます。本当に刀がお好きなんですね。最後はタクシーに乗って、さわやかに帰って行かれました。  私も高橋さんと一緒に会場を見て周ったのですが、刀剣商の方は私をマネージャーと勘違いしていたようです。インタビューに続いて、幸せな時間を経験しました。本当にありがとうございます。  ちなみに高橋さん、テレビのクイズ番組でも有名ですが、千葉県内の名門私立高のご出身であることを付け加えておきます。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.10.2

重人献一

「ザ・グレート・カブキ」の笑顔に感動

 ザ・グレート・カブキさんが、12月で「引退」することになりました。『東洋の神秘』として全米で人気になった彼は、プロレスラーを引退後、居酒屋を経営していましたが、その店を閉めることになりました。9月に75歳になったのが、理由といいます。「引退」記念のイベントとして、東京・新宿で11月4日、プロレスと、お笑いが楽しめる「カブキ祭」が開催されます。  私がカブキさんと知りあったのは、10年ぐらい前でしょうか。取材でプロレスの話について、聞かせてもらいました。それがきっかけで、お店に行って、プロレス秘話を楽しませてもらうようになりました。  日本のみならず、全米で第一線のレスラーとして大暴れした方です。驚く話をたくさん聞かしてくれました。歴史的な選手の話も数多く聞きました。『鉄の爪』フリッツ・フォン・エリック、『東洋の巨人』ジャイアント馬場、『大巨人』アンドレ・ザ・ジャイアント(敬称略)などなど…中でもアンドレの話は凄かったです。  カブキさんがレスラーとして現役の頃の1980~90 年代は、全日本プロレス、新日本プロレス、いわゆる「全日・新日」時代でした。私はアントニオ猪木さんのファンでした。もちろん、カブキさんからは「なんだ、新日ファンなんだ」と軽く笑われました。本当に、すみませんでした。  いま、考えてみると、「全日」と「新日」の違いなど、あまりないような気がします。みんなプロレスを応援していました。カブキさん、本当にありがとうございました。レスラー時代、居酒屋経営時代、そして、三度目の「リング」での活躍を楽しみにしています。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.9.1

重人献一

子どもたちの信じられないプレーに感謝

 少年野球のスコアラーをしていて、忘れられない試合があります。相手のチームが打順の間違いをして、そのせいか、うちのチームに流れがきました。  0対0の最終回表の攻撃です。小学生の低学年試合で、ワンアウト3塁、4年生の子どもが打席に立ちました。打たせるか、スクイズか。  それまで、監督と私は、チームの采配について、考えが同じで、違うプレーを指示したことはありませんでした。でも、その時、初めて意見が違ったのです。  打席にいたのは、前の打席で初ヒットを打った子どもです。その気持ちを大事にしたいと監督は考えました。一方の私は、それはそれで、この打席ではしっかりバントでスクイズを決めてほしいと思ったのです。  結果はヒッティングで三振。次の打者も凡退で、0対0のままになったのです。どちらが勝っても、わからないゲームでしたが、信じられないようなプレーが相次いで、タイブレイクの末に勝ってしまったのです。  まず、最終回の裏、うちのチームのレフトがダイブしてキャッチするというファインプレーを決めてくれます。続くタイブレイクの表の攻撃では、びっくりするような連打で3点。初めてマウンドに上がった2年生が、その裏を奇跡的に0点に抑えてくれました。  子どもを信じることが大切だと、改めて教わったような気がします。感動と感謝の両方を味わった試合でした。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.7.31

重人献一

ゴロ六郎 をご存じですか?

 ゴロ六郎さんという演出家に注目しています。サラリーマンを続けながら、活動していますが、驚きと感動の舞台を披露してくれるのです。初めて舞台を見たのは、6年前ですかね。当時の職場の入社6年生が、おもむろに「来てください」と言ってくれて、舞台を観に行きました。  ゴロさんが作・演出した劇団ダブルデックの『8人だけ〜』でした。ゴロさんは20代なのに、8作目なんて驚きです。内容も「どんだけ〜」の連続で、あっという間に感動して、終わりを迎えたのでした。  『口はワザワイノモト』『地大さん家の150年+』と、それから毎年、見た作品は、どれも素晴らしかったです。どの作品からも「平成」が強く感じることができたのです。  ゴロさんとは、いろいろな思い出が残っています。  一緒にゴロさんと仙台に行って、東日本大震災を経験した高校生たちの話を聞いたこともあります。ゴロさんの優しい、温かい思いが忘れられません。  そして、8月11日〜13日、新型コロナ蔓延以来、4年ぶりの舞台として新作『2020ネンマツ?』が東京・新宿のシアター風姿花伝で公演されます。ゴロさんは34歳、まだまだ若いです。メンバーの女優が、かつての同僚の娘さんと気がついてびっくりでした。ぜひ、皆さんには観劇してもらい、「令和」の時代を感じてほしいと思っています。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.6.28

重人献一

『司馬遼太郎と瑠璃光寺』

 司馬遼太郎さんという国民的な作家がいらっしゃいます。1996年に72歳で亡くられたのですが、今でも現役の作家にも負けない人気で、多くの方から支持が寄せられています。  『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』など多くのベストセラーがありますが、私は、彼の小説を読んだ経験がなくて、以前にNHKでドラマ化され『坂の上の雲』と、もう一冊ぐらいでした。  そんな私が、司馬さんの本を読み始めたのは、数年前に出会った『街道をゆく』のシリーズでした。たまたま古本で出会いました。一冊目は『甲州街道、長州路ほか』でした。以降、司馬さんの小説ではなく、紀行に夢中になり、シリーズの『近江散歩、奈良散歩』『南伊予・西土佐の道』『阿波紀行、紀ノ川流域』、さらに『韓のくに紀行』などを読み続けました。私が行ったことのある町も、訪ねたことのない村も紹介されていて、その土地や歴史、人々に対する司馬さんの愛情がうかがえました。  この中で、一番印象にのこっているのは、やはり一冊目で読んだ『甲州街道、長州路ほか』の『長州路』です。実際に、山口を歩いたぐらいです。『長州路』 に出てくる瑠璃光寺(山口市)の五重塔には、司馬さんの文学碑があります。『長州路』の中の言葉として、こう書かれていました。 「長州はいい塔をもっている」 もう一度、訪れてみたいものだと思います。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.6.1

重人献一

『やさしい猫』の素晴らしい思い出

 長編小説の『やさしい猫』(中央公論新社)を紹介したいと思っていたら、6月24日からNHKで放映されると聞きました。新聞に連載された直木賞作家の中島京子さんの作品です。急いでペンを手にしました。  主人公は「マヤちゃん」で、母親でシングルマザーの「ミユキさん」が東日本大地震のボランティアで被災地を訪ねた際、スリランカの「クマさん」と知り合います。2人は、じきに結婚しようとします。  ところが、クマさんは、オーバーステイ(超過滞在)の疑いで出入国在留管理局(入管)に収容されてしまいます。日本で暮らすには、在留特別許可が必要で、最悪、クマさんは国外に送られてしまうのです。3人が一緒に生活するための裁判が始まり、小学4年生で登場したマヤちゃんは、中学2年生に成長しています。  物語の前半は恋愛、後半は裁判、そして終盤に向けては、ニュースでもよく報じられている入管の問題点がクローズアップされます。憤りの気持ち、それが物語の根底に横たわっているのです。  小説を読み終わった時に、マヤちゃんが中2の夏に三人ででかけた神奈川県の江の島を訪ねてみました。物語ではある海の場面が紹介されていて、探していると、実際にそこが見つかったのです。マヤちゃん、ミユキさん、そしてクマさんが素晴らしい思い出を残した場所でした。その場所に立ってみて、価値のある物語だと感動しました。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.5.9

重人献一

「最後の瞬間」を見守る

 松本白鸚さんの『ラ・マンチャの男』が4月24日、初演から54年、通算1324回で閉幕しました。本当は昨年に「ファイナル公演」は完結する予定だったのですが、コロナ禍で、途中で打ち切りになり、あらためて、松本さんがリベンジしたのです。80歳、見事な演技でした。  昨年の公演には私も足を運び、その時には、これがファイナルになって、自分たちしか知らない最後の「瞬間」を体験できるかも、と思いましたが、あらためて今回、本当の最後の「瞬間」をニュースで拝見して、感動してしまいました。  中学受験でも、すべての受験生の皆さんに最後の「瞬間」がやってきます。松本さんのように、子どもたちにも力をすべて出し尽くして、感動の「瞬間」を体験して欲しいのですが、そうではない結果が伴うことが多いのも事実です。大事なのは、受験生も、保護者も、すべての結果を受け入れることでしょう。  その気持ちを忘れないように、保護者、関係者の一人として、子どもたちを見守って行きたいと思っています。 <筆者紹介> 元ジャーナリスト。取材者として、親として中学受験にかかわる。現在闘病中。

2023.4.28

おしゃれというモード(10)

以前は外出時にするメイクがおしゃれでしたが、今もそうでしょうか。 今は、もし”ファッション”を気にするのであれば、生活の中のおしゃれも必要なのです。 それは男女を問わずにできます。日常生活をもっと活性化させる、とは、何をどうすべきか。 みんなが力を合わせて”サスティナブル”、つまり持続可能な社会を目指そうというのです。 日常の家庭内での節電はもちろん、鉛筆一本、紙一枚も無駄にしない、つまり消費の時代から節約の時代になったというのです。 世界のファッションをリードする都市は、この「持続可能な社会」を組織で目指しで実現することを宣言の中に盛り込んでいます。(おわり)

2023.3.27

おしゃれというモード(9)

ファッションの正体とは何でしょうか。 ファッションは集団が作るものです。以前、女学生にセーラー服というのが学校の制服となって流行したことがありましたが、これはファッションの先駆けとなる形態の一つでした。 近年のファッションの背景にあるのは、”グローバリゼーション”という時代の流れで、今や国境なき世界が広がりつつあるなかで、グループ(組織)として世界をリードする時代になったわけです。それがポスト・モダンという考え方で、都市の中にまずストリート・ファッションというのがお目見えし、それが都市全体に発展すると、ファッション都市になるという構図です。 現在、①パリ、②NY、③ミラノがファッション都市で、世界はこの三大都市の行方に左右されています。(つづく)

2023.3.20

露木 茂

おしゃれというモード(8)

20世紀に入ると、アメリカという超大国が出現し、これが巨大市場となり、フランスのおしゃれ産業は全盛時代を迎えますが、1920年代になると、体形に合ったサイズの服が大量生産されるようになって、ファッションの流れに乗ることがおしゃれの大きなファクターになってきます。こうして、新しいファッション・ビジネスが誕生し、これを利用するという人も次第に増えてきて、今やファッションを意識せずにおしゃれをする、というわけにいかなくなってしまったのでした。(つづく)

2023.2.27

露木 茂

おしゃれというモード(7)

日本でも横浜や神戸で、「フレアー・スカート」が一時大流行したことがありましたが、これはフランスの女性の標準的な服装として、ナポレオンが規定したものでした。この時代は服装に厳しく、乗馬の際も女性は個別にその都度自分の服装についての許可を必要としたのです。特に女性の男装はご法度でしたから、宝塚歌劇団のようなショーがお目見えすることはありませんでしたが、これまでに求めてきた自分らしさの追及に余念がありませんでした。そして、これがパリモードとして世界に通用することになったのでした。 (つづく)

2023.2.20

露木 茂

おしゃれというモード(6)

女性がおしゃれの主役になったのは、19世紀になってからのことです。 それまでは男性がおしゃれの主役でしたから、ハイヒールも男性がはくものと決まっていました。 ところが、産業革命の嵐が吹き荒れるようになると、男性はおしゃれを放棄して、その座をそっくり女性の方に譲り渡してしまうのです。 デンマークの哲学者のキェルケゴールが、「おしゃれは偽装(イロニー)だ。」と決めつけたのもこの頃でした。(つづく)

2023.2.6

露木 茂

おしゃれというモード(5)

美智子さまは、ご成婚の儀式には、ディオールが基本デザインを担当、イブ・サンローランが完成させたドレスをお召しになっておられましたが、若いころから芦田淳を専属デザイナーとして採用されていました。 芦田淳は1973年に日本初のプレタポルテとして、「ブティック・ミセス・アシダ」を青山にオープン。その後も美智子さまとの交流の中で、本格的な国際感覚を習得、これが、彼の海外事業展開の糸口になったようです。 ですから、このレベルのおしゃれというのは、単にドレスアップの域にとどまりません。  (つづく)

2023.1.31

露木 茂

おしゃれというモード(4)

ここで、おしゃれの原点を極められた方をご紹介しましょう。 それは正田美智子さまです。 美智子さまは、ご家庭ではお母さまの正田富美子さまから外国との要人との交際に必要な言葉遣いなど国際的なマナーと教養を学ばれ、ご経験を積んでこられました。その陰にお母さまの貴重な海外生活のご経験があって、それが外交交渉にも通用する礎をつくってこられました。(つづく)

2023.1.5

露木 茂

おしゃれというモード(3)

ムスリムで最もおしゃれと自負しているのが、インドネシアのムスリム・インスタグラマーたち。 インドネシアのイスラム社会で「モデスト・ファッション」とは、むやみに男性たちの目を引くことよりも、むしろこれまでになかった服装の自由化を見出して時代の先端を走りたい、というのが本音であって、 これを応援しているのが北欧の新進気鋭のデザイナーです。 では、ムスリムたちはみんなが、このようなおしゃれを楽しんでいるかといえば、そうではありません。イランゃサウジアラビアでは、今なお厳しい規制の中で 昔の伝統衣装のままです。サウジでは宗教ポリスもいて目をひからせているので、油断は禁物。(つづく)

2022.12.26

おしゃれというモード(2)

イスラム教の信者を”ムスリム”といいますが、彼らの伝統衣装は皆さんがご存じの通りで、おしゃれの世界とは無縁のように思われているかも知れませんが、2001年の同時多発事件の後、その衣装が影を潜めてしまったのです。 勿論、サウジ系のムスリム同胞と呼ばれる人々の中には、昔ながらの伝統的な衣装を着ている人もいますが、世界中に進出を目指しているムスリムにとって、この際、おしゃれの原点に戻ろうという機運が高まって、今やおしゃれの最先端を走っているのです。 その変化とは、①黒を基調とするけれども、これに②白を加えた。更に③ターバンのような”ヒジャブ”と呼ばれる頭にかぶる帽子をすべてのコスチュウムに標準採用。そしてもう一つ、デザインのアクセントとて、直線、曲線という線をデザインに新しく採用したのです。この三位一体の改革が新しいスタイルを生んで、今や昔の面影は姿を消してしまったのでした。(つづく)

2022.12.19

露木 茂

おしゃれというモード(1)

今から約2500年ほど前の話です。 バルカン半島の周辺にケルト人が住んでいました。 彼らは男女ともにおしゃれ好きで、おまけに背丈は高く、髪の毛は金髪、眼はぱっちりと大きくてまるで宝石のような紺碧、碧眼の瞳を輝かせた白人種で、その美しさは近隣諸国の若者たちの憧れの的になっていました。 ケルト人の子孫は英国のウェールズ地方にもいて、彼らはアイリッシュを自称していますが、アメリカで暮らすアイルランド系の人々は約4500万人。本国のアイルランド人の10倍になっています。(つづく)

2022.12.13

露木 茂

200字アイデンティティ・コラム(3)

花は動きません。でもハチが飛んでくる。ここに美の原点があって、何か魅力的なものが花にあるのです。 人の場合は笑顔に魅力の原点を見出すことができます。ハワイのHULAをご存じでしょうか。 笑顔のあるところに人は集まり、それが重なって幸せをもたらしてくれます。 個人の行動スタイルが、その決め手になります。 キャラクターとかパーソナリティというのは日頃よく聞く言葉です。 アイデンティティの中に美の原点があれば、必ずパーソナリティは変わります。 外国では幼稚園の園児たちを美術館によく連れていきますが、それは美の原点(たね)を植えている。 それが個人個人の行動スタイルのもとになるのです。   <終わり>

2022.12.5

露木 茂

200字アイデンティティ・コラム(2)

赤ちゃんは目を覚ますと動き出します。 そこには自動的な動きと他動的な動きがあって、その動機によって、複雑な動きに変わります。 実はこれが人生の幸、不幸と無関係ではないのです。 幼稚園ではもう言葉がつかえます。これで動機は益々複雑になり、新しい対人関係が生じてきます。 それは好き嫌いの判断です。 コラム子ちゃんは皆から好かれ、ぼくちゃんはそうでもなかったら大変です。 みんなから好かれるようにしたくなります。人の流れが集まる方と集める方の2種類になるのです。 (つづく)

2022.11.28

露木 茂

200字アイデンティティ・コラム(1)

赤ちゃんが立ち上がる時に、何も持たなくても立ち上がれますが、そばに台とか子供のいすなどがあると、それを持って立った方が楽に立ち上がれます。 ですからそんなものがあれば、使いたくなります。 アイデンティティにもそれに似たようなところがあって、動くときにあると、便利で楽になります。 そして大きくなると、必要なものになってしまいます。 だから、早い段階で持つようにしたいものです。 (つづく)